もうそれは ただの想像だけど

昨日死刑判決が下ってから、
ずっと 恐れているのです。





言葉は悪いけど、
犯人は死刑執行となって 命を落とすことになる。
なのに、本村さんは、残りの人生を何十年も 生きていく予定なわけで、
私が 恐れているのは、勝手になんだけど
もし、本村さんが この死刑判決に導いたことを
後悔してしまったら・・・ということ。
としを重ねるということは、
自分でも想像し得ないことが あるわけで。
こんなにも
信念*1を貫いている!という表情の本村さんだって
どういう風に考えが 少しずつ変わっていくか分からない。
例えば、この9年間の間に やはりピークを超えて
当初の憎しみに溢れた 表情を思い起こせば
想像できないほど 今はある種落ち着きのある
でも、表現できない感情が 本村さんの中に芽生えているような
そんな様子を見て取れるので。
これから 何年も経った時、
きっと この判決を背負って生きているのは、
本村さん1人なのではなかろうかと思うので*2
そういうことを 考えても、本当になんていうか。
将来さえも 私は恐ろしい。


でも、どんな凶悪な事件を 見聞きしても
ここまで立法や司法についてまで 考えさせられたことは無い。
どんなに有名な弁護士や芸能人にも なし得なかったことを
本人は望まなかっただろうけど、本村さんは 成し遂げようとしている。
きっと多くの国民に何かを投げかけていると思うのです。


私は、死刑制度反対とか賛成とか、そういう考えを はっきりと持っていない。
でも、今回の事件に関しては、これまでの 裁判に関する記事を読んで
無期懲役では 余りにも・・・という考えを持っていた。
これは 感情論なの?
私は、そうは思っていないんだけど。
まあ、今は どっちでもいい。
死刑を望んでいるというよりは、こんなにも反省をしていない人に対して
無期懲役というのは おかしいのではないかという気持ちで。


結果、死刑なのに。
『よかったね』とも思えない。
どんな結果でも 結局大事なところがかけたような気持ちなんだろうな。


結局、どう転がっても、やっぱり 一番これからもこのことと
生きていくのが 被害者遺族であるということが。
なんだろ、言葉にできない。
悲しみでもない虚しさでもない なんなんでしょう。
そして、私が 行き着くのは やはり本村さんの言葉なんだよ。
数々の言葉が 私の恐れを慰めるのです。
そんな私は ただこうやってのらりくらりと生きている人で
私のような人や、日本の将来を
力強く照らそうとするのが、本村さんだという。

*1:もうこれに関しては 本当に、家族を失ったこととかそういう個人的な域を超えてる

*2:他人事で無責任な発言と言われたとしても、でもやはりそう思う