4月22日

死刑判決がくだった。
最高裁での争いが待っているようだけど。




23歳から9年間。
詳しくなんてならなくて 良かっただろうな。とか。
そんな知識を必要としないまま 過ごしていたかっただろうな。とか。
いろんなことを思ったら、何を言葉にしていいかもわからない。
でも、あの方にしかなしえなかったことが たくさんあると思う。
この事件に判決が下されて、結果、3人の命を奪うということ。
『社会的な不利益』
死刑判決は勿論ものごとの解決ではない。
それをあの方が 誰よりもと言いたいくらいに理解しているのでは。と思う。
これが余計に考えさせられる。


無期懲役の判決が下った直後の昂った発言が、私にはとても印象的なのだけど、
いろんな意見があるとは思うけど、私は、
あなたがそれを言わなくて誰が言う!というくらい、
当然の感情ではないかと当時思った。
それが人である所以ではないの?と。
今、思い返しても、それほどいきすぎた発言にも感じない。
だって最愛の家族を 身勝手な理由で。
自分に置き換えてよ。
それが一生の感情ではない、
大事な人を失った後 やっと下った判決に対する絶望感の中での発言
それくらい何さと、思った。
人が殺したくて言ってるわけじゃない。


そして、きっと9年間という時間を重ねて、
専門分野においてまで沢山のことをご自分で学んで、
(もちろん人としても沢山のこと。)
被害者・遺族として、以上のことを、
考える域にまで達してしまったのではなかろうか。


それでも、無期懲役ではなく、死刑を。


そして、遺族の方々は、ずっと この死刑判決と
生きていかなければならないのだろうし
やっぱり、どんな判決が下ったって、救いとは程遠いように思えてしまう。
当たり前だけど。
失った後では・・・というよりも、奪われた後では。


救いではなくて、何なんだろう。何を見出せばいいのだ。
全て虚しいけれど、裁きは必要。
ぐるぐるしてくる。


それで結局、頭の中で
戻しても仕方ないところまで 話を戻してしまう。
なんでこんな事件。とか。


なんていうか。
私が想像で何を言っても、たわごとだなぁ。
でも、すごく いろんなことを考えてる。
今、言葉にできることを記録しておく。
きっと、明日読めば、足りないこととか 意味分からないこととか
たくさんあるだろうけど。
バカだけど。考える。
書いていないけど、加害者の元少年のことも考えている。
考えても どうにもならないのに、考えている。